「昔はよかったと」口に出す人がいる


本当に昔はよかった


何もかもが・・・・



なら・・・



今も昔になれば 良かったといえるようになるのだろうか?


言えるとすれば・・・・



なら 今はやっぱりいい日じゃないか

どんなに完璧なものだって 必ずどこかにボロがある

人間に完璧なんてありえない 必ずどこかに穴がある



アンタはどうだい? 完璧かい?


完璧というならご愁傷様

アンタは立派な未完成


完璧じゃないって言うんなら

やっぱりアンタも未完成


欠けることは恥じゃないさ

足りないことは不安じゃないさ


誰しも必要なパズルのピースで

一つも欠ければ未完成


自分を要らない人間って思うのは

とんだ独り善がりの考え方


ホントは必要でたまらない

ホントは欲しくてたまらない


それでアンタはいいのかい?

それでアンタは満足かい?


それを難しいっていうんなら

いっそ派手にブチ壊せ


未完成なそれを 思いっきりにさ!


聞こえたかい?


そいつは世界(みかんせい)が崩れる音さ!

クソな世界(みかんせい)の壊れる音さ!


さぁこれから新しく作り始めようか


アンタの必要とされる世界(みかんせい)を

さぁ さぁ 君の夢を聞かせてくれ

まぁ まぁ そんなに恥かしがらずに


どんなにデッカイ夢でも どんなにささやかな夢だって

俺は笑わずに聞いてやる


ぜんぜん実現できなくたって

とことん頑張ったオマエにをさ


一生懸命やったって 精一杯頑張ったって

俺はオマエを褒めてやる


その夢の話題だけで 夜を語り明かそう

朝が来たっていいさ 眠りの中で同じ夢を見れんなら


人の夢を笑う奴

必死なオマエを笑う奴


何がそんなにおかしいのか?

何がそんなに面白いのか?


だがな 覚えておくといいさ


人の夢を笑える奴は 自分に夢すら嘲笑えるってことに



さぁ オマエの夢を聞かせてくれ


それはいつ落としたのか…


落としたそれは何だったのか。

何年も経ってしまった今では、もうわからないもの。


ひょっとしたら、始めから持っていなかったのかもしれない。

本当に失くしたのかもしれない。


でもそれはどうでもいいこと。


ないという事実には変わりはないのだから。



それは今でも元気にやっているだろうか?

誰にも気付かれずに今もその場所にいるのだろうか?










この時の、この場所で…








今の自分がいるのも、この先の自分がいるのも、それのおかげだ。








捨て去る事など出来はしまい。


ましてや、忘れる事など……。







もう気付いただろ?








何度を目を背けりゃ気が済むんだい?








なぁ、ちゃんと目を向き合って見てみなよ。


そんなに悪いもんじゃないだろ?


嫌なこと、楽しかったこと、怒ったこと……いろいろあったろ?


それを捨てるだの、失うだの。


あまりにも可哀想じゃないか。





さぁ、今から拾いに行くんだ。





どこからだっていいさ。


捨てた場所、失った時は覚えてるはずだ。

ヒマだったら、紙に記録しておけばいい。




まとまったら本にでもすればいい。


タイトルは、そうだな……








『思い出』







ってのは、どうだい?

たまには更新します。

書くことなんて余り無いけどね。


日常にはドラマやロマンスが溢れている、と思いたいが実際はそうでもないかもしれない。


…日常というのを「つまらないもの」とするのなら、非日常的なことが「おもしろいこと」ということになる。

あくまで俺の価値観ですがね。


例えば、毎日の出勤で違う道をつかってみる。

例えば、今日は寝坊をしてみる。

例えば、今日はブログを更新してみる。


内容的にはつまらないこと、でも表面的にはおもしろいこと。


普段とは違う事をすると、日常はちょっとだけ、おもしろくなるモノなのかも知れない。

ただ、それが本当におもしろいことなのかどうかは、決められるものではないけれど。


でも毎日を「つまらねぇ、退屈だ」と思うよりはマシに感じる。

…否、せめてそう思いたいものだ、と。


俺は毎日に面白さを求める。

それは楽しいことでもあり、また腹立たしいことでもあり、物悲しいものでもある。


全部をひっくるめて、俺は楽しみたいのだ、と。



陽気な人ほど、その裏でかかえている闇は大きいものだろう。

陰気な人ほど、心の中では光を求めて止まないことだろう。


だって、自分にないものだから。必要なものだからこそ求めるものだろう。

自分では手に入らないと分かっていながら…。



…諦め?


そうかもしれない。


…それでも、求めるの?


人間が本気を出せば、手に入らないものは少ないのかもしれない。


…じゃあ、どうして本気を出さないの?


楽をしたがるからさ、他の誰かがやってくれると思っている。


…自分で手にしなければ、意味がないのを分かっていながら?


人間は他人だけでもなく、自分も騙す事ができるからね。


…つまりは


そう、自己満足だ。




自己満足。

なるほど、そうかもしれない。


自分が思う妥協を認めてしまうのは楽だろう。

なんたって、いつでも出来る事だからね。


求めていたものを得ようとしても、諦めるのはそういうことかもしれない。

…つまり、「こんなものか」が怖いのだ。


期待していたものが、予想以上に悪いものだったとき。落胆するものだろう。

イルミネーションは近くで見るより、遠くで見るほうが綺麗だろ?

…そうは思わないか? ふむ。


まぁ私が言いたいのは、目標を達成すると同時に落胆するということだ。


達成したところで「こんなものか」と思ってしまえば、次の目標には到達できまい。


欺瞞かもしれない。

自分を騙しているのかもしれない。

過ぎたる目標は身を滅ぼすだろう。

匙加減が大事ということだ。

それこそ、ささやかなものが…。



例えば、今日は美味しい三食のメシが食えた。

例えば、今日は寝坊したのに電車に、会社に間に合った。

例えば、今日はずっと探していたものを見つけることができた。


それを幸運と呼ぶか、日常と呼ぶかは。その人にしかわからない。


幸せであるのと、それが本当に幸せであるかどうかは別問題だ。



ならば…


ならば今の俺は幸せと言えるのだろうか?

言えるかもしれないし、そうでないかもしれない。


それは誰が決めることでもない。

ただ錯覚するだけでよい。


自分は幸せなのだと、自己満足するだけで。